疑問に思うんだ
今日の名言にも書いた。
最近増えてる「命を大切に」の美辞麗句。
書きながら思った。
これは「今日の名言」よりも「思うこと・・・」で書いた方がいい。
でも「今日の名言」はもうアップしてしまった。
仕方がない。
「思うこと・・・」でもっと詳しく書くことにするよ。
先に言っておくけどテーマがテーマなだけに今日のやつは内容が重いよ。
今年の漢字は「命」だそうだ。
皇室に慶事があったこともあるがそれよりも自殺やらネガティブな世相を逆説的に反映した結果であろう。
世の中には「命を大切に」「大切な命」が氾濫している。
「何かおかしいぞ?」と疑問を持つのは私だけだろうか?
「命を大切に」って当たり前のことじゃないの?
みんな「理屈」では理解していると思うよ。
「心」・・・腹の底では理解してないのかもしれないけど。
そんな当たり前のことをみんなでわーわー言うことにみんな疑問は持たないのかな?
きっとこんなことを言うと世の中の人たちに人格を疑われるかもね。
それでも私はそう思うんだ。
でもきっと少数派の意見だろうね。
数が正義、それが「民主主義」。
少数派は負け犬だ。
いくら吠えても所詮は遠吠え。
誰も言うことを聞いてくれない。
でも多数派に寝返ろうとも思わない。
多数派にいれば楽だろうね。
でも言いたいことも言えなくなる。
みんなと同じことを言わなければならなくなる。
言いたいことを言えなくなるのは精神衛生上よろしくない。
少なくとも私はそうだ。
だから少数派のほうが弱くても私にとっては居心地がいいんだ。
責任取らなくてもいいから?
多数派で責任自覚してモノを言ってる人がどれだけいる?
責任取らない少数派からの転びバテレンばっかの多数派に。
行き過ぎた多数派にブレーキをかけるのが少数派の役目。
私はそう思ってるよ。
だからちょっと言うことも過激になるんだ。
そうしないと世の中のバランス取れないもん。
見えない言論の圧殺。
私はそんな波が人知れず押し寄せてきている気がしてならない。
戦前に治安維持法やらで言論統制がされたよね。
法律での統制はまだたちがいい。
そうでない見えない統制だからタチが悪いのよ、怖いのよ。
みんなは気づいていないのかな?
知らず知らずのうちに自由にモノが言えなくなっていることに。
世論に逆行した立場で物事を言うだけで人格まで否定されかねない今の時代。
だから、まだモノが言えるうちに言っておくよ。
私の考えすぎだったらいいんだけどね。
最近、悪い予想ばっか当たってるから心配なんだ。
「命を大切に」の話に戻ろうか。
準備はいい?
モノというものは大概、使えば使うほど価値が下がるんだ。
言葉だってそうだよ。
ちょっとレベルが落ちると言われるかもしれないけどひとう例を出すね。
お笑い芸人の一発ギャグを思い出してごらんよ。
はじめは一言でお客さんを大爆笑させたギャグも何度も何度も使えば誰も見向きしなくなるんだ。
みんな感覚がマヒするんだよ。
わかりやすく言えば飽きちゃうわけだ。
「命を大切に」という実に尊い言葉もヤンヤヤンヤと騒ぎ立てることでみんな飽きてきちゃうんだよ。
当たり前のことになるどころか感覚がマヒして何も感じなくなっちゃうんだよ。
ニートって言葉を思い出してよ。
最初はもっと重い言葉だったはずだよ。
今では誰でも彼でも、すぐに手軽「俺もニート」のエセ・ニートが大量増殖。
「命を大切に」って言葉も軽くなる気がするよ。
真理としての重みは変わらなくても言葉としては随分軽くなる。
言葉の持っている「攻撃力」というのは思った以上に強力なんだ。
そんな風に考えるのは私だけなのかな?
杞憂?
だったらいいんだけど。
もうひとつ疑問に思う点があるんだ。
「命を大切に」って訴えている人は例えば自殺するまで追い込まれた人をどこまで想像しているのかな?
まともな状態の人なら「命を大切に」といわれれば「その通り」と拍手を送る。
それゆけ、右にならえでみんなで徒党を組んで「命を大切に」の大合唱。
でもちょっと待ってよ。
自殺するまで追い込まれた人の精神状態って言ってみれば極限状態だよ。
まともな状態で自殺なんてできないよ。
幸い、人間はそこまで勇敢じゃない。
彼らが自分の命を軽んじているなんて私には思えないよ。
生きれるものなら生きたいと思っている人がほとんどだと思うよ。
まともな状態にある人間が徒党を組んで「命を大切に」なんて行列組んだら彼らの居場所がなくなっちゃうよ。
「命を大切に」・・・そんなこと彼らだってわかっているはずだよ。
普通の状態の人がそのままの目線でモノを語っても彼らの心には響かないと思うよ。
彼らだってそこに至るまでにいろいろ考えるはず。
家族のこととか、残された人のこととかさ。
でも家族を悲しませることよりも今を生きることの方が辛いと思って自殺に至るんじゃないかな。
いや、自分が死んで周りが悲しむと考えられる状態なら人は自殺しないしできないと思うよ。
彼らはもうそんなステージにはいないのかもしれないんだ。
極限状態の彼らの立場で言っている人がどれだけいるのかな?
私自分もそれができているとは思わないけど。
普通の状態にある自分の目線で「命を大切に」の美辞麗句。
偽善とまではいわないけど、ちょっと考えものじゃないかな?
果たして「彼ら」の目線でモノを語れているかな?
「私」の目線で語ってはいないかな?
「正論」ははたらきかけられる立場に適ったときに初めて正しくなるんだよ。
「まともな状態じゃない」ってところが差別的だといちゃモンつけてくる人もいるかもね。
ニュース原稿に「魚屋」って書くと怒られるそうだ。
「~屋」という表現が侮蔑的だというのが理由だそうだ。
「鮮魚店」と書かなければならないそうだ。
問題の本質は字面、文面ではないんだよ。
内容をちゃんと見て頂戴ね。
また話が脱線。
私の悪い癖。
生きる楽しさを説くことも無駄ではないと思うよ。
でもそんな余裕があるなら彼らは自殺なんて考えないと思うよ。
それは結局、極限状態にない人が描く絵に描いた餅だよ。
彼らはそれを食べることができない。
自殺を考えるほどの苦悩・・・
想像を絶するものだと思う。
「トンネル抜ければ夏の海」など言ったところで彼らの気持ちは晴れないと思う。
極限状態はそういう状態なのだろう。
私たちが「命を大切に」をはじめとした「正論」が逆に彼らを追い詰めていると思う。
最近の論調にはそういった視点が欠けているような気がするんだ。
もちろん、私自身も含めてね。
他者への想像力の乏しさが、過剰な善意が、歪んだヒューマニズムを生んでいる。
そんな気がしてならない。
そういうことにみんな無自覚になっているように思えてしまう。
だから怖いんだよ。
私の考えすぎならそれが一番いいんだけどね。
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コメント
いいものを読ませて頂きました。
マイノリティは、マジョリティになるために頑張る。
決して、マジョリティに何かを要求したり、希望したりするものではないと思います。
民主主義というのは、過半数+1人でよいもので、正しいとか正しくないとかも、過半数+1人で成立してしまいますからね。
物事を見る角度が基本的に似ているような気がしました。
投稿: Scipio | 2006年12月19日 (火) 15時39分
>Scipio様
恐れ入ります。
少数派が不要というなら民主主義自体、まったく意味を持ちませんしね。
多数決を取る意味も話し合う意義もなくなりますから。
少数派だからといって萎縮する必要はないです。
確かに物事を見る角度が似ているかもしれませんね。
記事を読んでそう思ったのでトラックバックを送らせていただきました。
投稿: 丈ムー | 2006年12月19日 (火) 15時44分
混ざってしまえば 楽になるだろう
でも 僕には 死ぬまで 許せないだろう
という歌詞を思い出しました
投稿: anc47764 | 2006年12月19日 (火) 16時19分
よく使い込まれて味が出るか錆びて使い物にならなくなるか…確かに後者になるのは怖い。
言いたいことが言えない数の暴力…とまでは言わないけど圧力はあると思う。同じようにしなければ村八分にされる異質とみられたくないそういう考え方も出ているような気もする。
特に日本人て自分の意見言わないと言うか言うとダメみたいな感じあるから…(俺も含めて
さてはて、少し考えたいので本題書くのに時間いただきますね。それと俺は哲学者としては三流以下よw
どちらかと言うとコメンテーターかと…(笑
投稿: 新 | 2006年12月19日 (火) 16時25分
>anc47764様
気高い歌詞ですね。
かくのごとくありたいものです。
>新様
むしろ昔の日本人の方が「自分の意見」を言えたと思います。
自由にね。
今のご時世は「差別用語」をはじめとして使ってはならない言葉、批判してはならない暗黙のルールに無意識的に縛られすぎているような気がします。
そのことに無意識・無自覚だということが一番怖いことだろうと思えてなりません。
投稿: 丈ムー | 2006年12月19日 (火) 19時21分
久々に長いね☆
いま読み終えました☆
命を大切に・・
飽きたうちの1人です。
頭の中での理解です。
心では感じません。
なぜかって・・当たり前だから。
僕たちが、いくら死ぬ気になれば何だって
出来ると言ってみたところで、無理なのさ!
それで自殺者が減るなら、こんなに社会問題化してないよ。学校に非常勤としてカウンセラーは来ないよ。
彼らによって、救われる子もいるだろうけど、救われない子もいるのが現実。
当たり前のモノほど、数多く唱えれば、
当たり前でなくなる。悲しいけどね。
じゃあ、どうすべきか・・
王道が無いから悩むのさ!
投稿: M敏之 | 2006年12月19日 (火) 20時23分
>M敏之様
世間が慣れて飽きて麻痺していっても、私たちはそうならないようにしなければいけません。
当たり前を当たり前で保ち続けなければなりません。
せめて自覚のある人たちだけでも訴え続ける必要があるんです。
投稿: 丈ムー | 2006年12月20日 (水) 00時05分
「勝手メール」おゆるしください。
■□■ 「イジメは悪の魔のしわざ」 ■□■
なぜイジメが起こり、家庭不和が続発し職
場の人間関係がトゲトゲしくなるのでしょう。
それはあなたが、悪の魔を「人格」として
とらえていないからです。あなたの心と魂を
惑わす悪の生命が「魔」を送り込んでくるこ
とを認めないからです。
光に対してヤミがあるのは当然です。
「サタンも光の天使に偽装する。だからたと
いサタンの手下どもが、義の奉仕者のように
偽装したとしても、不思議ではない。彼らの
最期はそのしわざに合ったものとなろう」
「悪」は哲学用語ではありません。人の魂
にうえこまれた、魔の遺伝記号です。
これは、ガン細胞同様ヒトの原基にくみこ
まれた「在」の法則なのです。この細胞の目
的と役目は、相手を滅ぼし・自分もほろびる
ことです。
論理の通用しない魔の力をもつのが、イジ
メです。「悪に負けてはいけない、かえって
善をもって悪に勝ちなさい」
理論で悪を捕らえようとすると、いつまで
も悲劇が続きます。
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あなたの子供さんのために「新約聖書・
ローマ人への手紙・7章」をぜひ熟読く
ださい。
投稿: あだち | 2006年12月31日 (日) 16時15分